日本で暮らすことを選んだ理由。留学から就職までの遠回り

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最初に日本へ留学したとき、将来ずっと日本で暮らすと決めていたわけではありません。

ただ、学生として過ごした時間はとても良い経験でした。いつか社会人としても日本で働き、暮らしてみたいという気持ちは、その頃から残っていたと思います。

日本語学校を修了して韓国へ戻り、大学への復学、交換留学の中止、卒業後の就職を経て、私はもう一度日本に戻りました。

この記事では、最初の留学から今の生活につながるまでに、計画がどのように変わっていったのかを書いてみます。

留学後は日本の専門学校に進むつもりだった

日本語学校に通っていた頃は、日本の調理系専門学校へ進学することを考えていました。

もともと料理の道に興味があり、韓国の大学でもホテル調理を学んでいました。日本でさらに勉強することは、当時の自分にとって自然な選択肢の一つでした。

ただ、進学に必要な費用を具体的に調べると、簡単に決められる金額ではありませんでした。

学費を考えて、いったん韓国の大学へ戻った

韓国の大学の学費は学科によって差がありますが、私が見ていた範囲では1学期あたり約350万〜400万ウォンが目安でした。

一方で、進学を考えていた日本の専門学校は、1年間でそのおよそ2倍の費用がかかる計算でした。

学びたい気持ちはありましたが、費用を考えると、すぐに進学することには迷いがありました。そこで、休学していた韓国の大学にいったん復学し、卒業してからもう一度日本へ来ることを考えました。

遠回りにはなりましたが、当時の状況では自分なりに現実的な選択だったと思います。

交換留学の直前、コロナで計画が止まった

大学へ戻った後、2年生の1学期には交換留学で再び日本へ行く準備を進めていました。

しかし、渡航の2週間前に新型コロナウイルスの影響で航空便がすべて欠航になりました。交換留学も実現せず、私は韓国に残って学科を終え、卒業することになりました。

準備していた計画が急になくなる経験は、簡単ではありませんでした。それでも、日本とのつながりまでなくなったわけではありません。

「いつかまた行けるようになったら、日本で暮らしてみたい」という気持ちは残っていました。

社会人として日本に戻るという選択

コロナの状況が少しずつ落ち着き、再び渡航できるようになった頃、私は日本で就職して戻ることを選びました。

学生としての留学は楽しかった一方で、生活の多くは学校を中心に動きます。今度は社会人として働きながら生活してみたいという思いがありました。

日本で暮らすことを最初から人生の最終目標にしていたわけではありません。専門学校の進学を見送ったことも、交換留学が中止になったことも、当初の予定とは違う出来事でした。

それでも、途中で一度うまくいかなかったからこそ、就職という別の形で日本に戻る選択につながったのだと思います。

今の日本生活で感じていること

今は一人ではなく、これからの未来を一緒に考える妻がいます。そのことは、学生の頃に日本で暮らしていたときとは大きく違う点です。

生活そのものに大きな不便や戸惑いは、今のところあまり感じていません。むしろ、いま一番力を入れているのは、新しい職場での人間関係や仕事に慣れることです。

日本での暮らしに慣れたからといって、すべてが簡単になったわけではありません。職場では新しく学ぶことが多く、これからも仕事の流れを理解しながら経験を積んでいく必要があります。

ただ、学生として過ごした経験があったからこそ、社会人になって日本へ戻ることへの不安は少し小さかったと思います。

まとめ

私が日本で暮らすまでの道のりは、最初に思い描いていたものとは違いました。

  • 日本の専門学校への進学を考えたが、学費を理由に韓国の大学へ戻った
  • 交換留学はコロナで中止になった
  • それでも日本で働いて暮らしてみたい気持ちは残り、就職を通じて戻ることになった
  • 今は妻と暮らしながら、新しい職場での仕事に慣れている途中

今も「これから先ずっと日本で暮らす」と断言できるわけではありません。

それでも、何度か計画が変わった中で、自分の意思で日本へ戻り、今の生活を選べたことには意味があったと感じています。

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